◇閔 賢基の音楽的考察◇

ライブ情報と日々の徒然なる記録

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風邪とカルテットとライブ情報

カテゴリー : ライブ情報
ゴールデンウィークは風邪にうなされていました。
しっかり、豚インフルエンザも「このご時世ですから」とチェックされました。
抵抗力が低いのか、いつも風邪をよくもらってしまいます。
豚インフルエンザなんてもらったらきっと、すぐブッ倒れそうですね。

また最近、音楽大学時代の人達と会う機会がありました。
みんな久しぶりでしたが、多くは結婚したり、お母さんになっていました。
男は変わらないけど、女性は変わっていくなぁ、と感じます。

そして昨日は久々の弦楽四重奏のリハーサル。
曲はハイドンのDevertimento in Es Quartetto op.20 No.1。
睡眠不足で行ったけれど、目が覚めるくらいの
なかなか刺激的なリハーサルでした。
大学時代を思い出しますね。


さて、久々のライブ情報です。


■2009/5/22(Fri)■
申し訳ありませんが、諸事情により、この日のライブは中止になりました!

■2009/5/24(Sun)■
【男塾フラメンコ@栃木】
出演;長尾ゆうたろう(ギター) 伊集院史朗(踊り) 今泉孝文(ギター、カホン) 閔賢基(ヴァイオリン) 
場所;南国文化食堂なんぷう
(栃木県足利市助戸1-614 0284-44-4377)

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アーティストを斬る

カテゴリー : ETC...
職業欄に「アーティスト」と書いてる人がいる。
よく見渡してみると、自称アーティストって人は多い。
アートとかアーティストの定義って、人それぞれだと思う。
だからアートがそこら辺に転がってる石と同じくらいの意味だと思う人がいてもいいと思う。

・・・でも。
僕の中のアートはとても価値が高くて崇高だ。
安っぽくはないし、滅多に出会えない。
僕の中のアートの一番大切な必要条件はこれだ。

「心を揺さぶる、または感動を伴う創作作品」

加えて言うなら独創的でなければ。
そして創造者の信念や主張が込められてなければ。
他にもいろいろ条件はあるけれど、
人が感情で生きている以上、一番の条件はやっぱり心が反応しなきゃ、
アートとは認められない。

演奏家はアーティスト?
僕の考えでは演奏家は演奏家だ。
昔から優れた演奏家はいただろうけど、芸術家として名前を残している人は少ない。
後世に名が残った演奏家は、「優れた演奏家」であって、アーティストとは呼ばれない。
演奏家は作曲者が作った曲を弾く、手先の器用な肉体労働者みたいなものだ。

じゃあ作曲家はアーティストか。
作曲家、と一言に言ってもいろいろいる。
パズルの組み合わせみたいなものでも曲は書ける。
今時、コンピュータで作れば誰だって作れる。
音楽理論は必要無いし、必要なのはソフトウェアを使いこなす事だけで、
それは経験があれば誰でも出来る。
極端な話、切り貼りすれば誰でも作れるのだから。
作曲家も一部を除いて、アーティストなんかじゃない。

じゃ、ダンサーは?
ダンサーはダンサーでしかない。
歴史に名を残すような優れたダンサーもそのほとんどはアーティストとは呼ばれない。
歴史に残る名称は「素晴らしき踊り手/ダンサー」だ。
第一、生涯踊り続けて暮らすのは並大抵の事じゃない。
ほとんどはレッスンプロになる。これは肉体労働者でしょ。

画家は?
絵なんて誰でも描ける。
今時、コンピュータでも描ける。
絵を描くことがアートなら、漫画家もアシスタントもひっくるめてアーティストだろうし、
建売住宅の見取り図を描いたってアーティストになってしまう。
下手なのに味がある絵がアートなら、総人口アーティストだ。

小説は?映画は?オペラは?詩は?
駄作なんて誰でも書ける。一体どれだけ感動できる作品がある?
昼のドラマで泣く人だっている。
安っぽい感傷がその作品の価値を高めてくれるとは思わない。

アクセサリーは?家の設計は?陶芸は?
それもすべてアートなんかじゃない。
第一、本当に「作品」と呼べるレベルのものか、って思う。
そのほとんどは商品であって、洗練されてはいるかもしれないけどアートじゃない。

ただ・・・
どの職業も、どの作品もすべて違う、と言いたいわけじゃない。
その職業の中にも斬新な作品、または革新的とも言える人物がアートを創り出し
後にアーティストと呼ばれる存在になっている事を否定するつもりはない。

昔、「スポーツ冒険家」と名乗る人がいた。
冒険家、って名乗るものなんだろうか?
結局、冒険らしい冒険の一つもしないまま、名乗らなくなった。
冒険家ってのはきっと、人がやらないようなものを追っかけていて
夢と情熱のためなら危険があっても、チャレンジ精神の元に
数々のエピソードを乗り越えていって。
そうこうしているうちに他人がその人をまたはその本人の生き方そのものを見て、
「冒険家」って呼ぶようになるんだと思う。
「アーティスト」も同じだと思う。

今はアートとアーティストに理解のある時代だと思う。
昔のアーティストは生前、認められなくて苦労した人も多い。
不遇のまま世を去った人もいる。
ちょっと名前が売れて、いい仕事が来て、周りとうまくやって。
周りとうまくやるのは大事だよね。
協調性とか人間性が良ければ仕事はまた来るだろうし。
依頼する方だってそっちのが仕事を頼みやすいからね。
でもアートなら自分の信念・主張のが大事でしょ。
表現に対して信念が無いならアートじゃない。
信念を曲げて売れる事を一番にしたらそれはアートって呼べる?
作品によくわからない説明を加えて、意味があるように見せても
偽者は偽者。
本物はきっと説明なんかいらない。
そして表現者は言い訳をするべきじゃない。
その作品一つで、人間性から人生そのものを評価されたって文句は言えないんだから。
むしろそれくらい思い入れがなくちゃ。
そんなものがアートかどうかは、きっと100年も経てば分かる。
多分、職業作曲家なり、職業演奏家なり、職業画家がほとんどで
作品じゃなくて消耗商品に過ぎない。

アートを創り出したい、アーティストを目指す人が多いのは素晴らしいと思う。
でも世の中には自称アートと自称アーティストが多すぎる。
物が溢れ、過剰な広告が溢れていて、陳腐なアートが溢れている。
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