◇閔 賢基の音楽的考察◇

ライブ情報と日々の徒然なる記録

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眠れぬ夜の中毒患者

カテゴリー : ダイアリー
ライブ後って、いつも眠れなくなるんです。
体が疲れてて、頭も疲れてて、何も考えたくなるくらい
ダルくなっているのに、頭のどこかが冴えてて眠りにつけない感覚。

きっとライブを毎日のようにやって、それが日常になれば
普通に眠れるのかもしれないけれど、
僕にはこの感覚が訪れるくらいのペースが合っているみたい。

毎回、軽く緊張出来て、情熱を持って
本番を迎えられる精神状態の時が一番気持ちがいいし、
そのためには多すぎても少なすぎてもいけない。

この眠れない時、たいてい一人で、誰とも話さない。
話したくても帰宅したらもう日付が変わってるし、普通の人は寝てる。
人恋しく思う時もあるけれど、一人の時間も割と好きで。

疲れてるから、やらないといけない事なんてやりたくない。
でも眠れないから何かしたい事を探す。

普段なら、フラッと夜の散歩に行ったりもするけど、
今は花粉症真っ盛り。
自宅に引き篭もって映画に読書、
インターネットをフラフラ見ていたりと散漫この上無し。

普段、眠れないと嫌でたまらないのに、
この無駄な時間が結構好きだったりする。
ヤクザな性分だなぁ、と思いつつ、今夜もやめられそうにない。
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ライブ情報&雑感(感想など)

カテゴリー : ライブ情報
先日はHadiaのワークショップを聴講しました。
僕はベリーダンスを踊るワケではないから、
見ていても多分、ダンサー達の視点とは違うのだと思います。
でも、その教えは音楽や武術などに共通するものもたくさんありました。

時代背景、それが生まれた背景は切り離せないし、
その頃の主流の技術で解析していかないと
全く異なる解釈になってしまう可能性がある・・・音楽と同じですね。

ワークショップで多くの人が一緒に群舞のように同じ踊りをしていると
さすがに見応えがありました。

同時に、特定の人に目が行く自分に気付きました。

一つは華がある、または存在感があるな、と感じる人。
そういう人はそこにいるだけでつい、見てしまう。
音楽でもいますね。まだ弾いてもないのに、舞台に上がっただけで
観客が注目してしまうような人物。
顔の良し悪しでは無さそうです。天性でしょうか?

もう一つは動きが綺麗な人。
みんな同じ動きをしているから、余計に。
基本の動きなんでしょうが、それが綺麗だと、
何をやっていても絵になるんだなぁ、と今更ながらに感じました。
まぁ、当たり前の話ですが、当たり前じゃないんですよね、これが。



さて、本日20日はイランのお正月、ということで今更ですがライブ情報です。

3/20(金 祝日)
open 18:30
start 19:30

六本木 アラジン(イラン料理)
港区西麻布3-2-6 安田ビル2階 03-3401-8851
予約 helwa_2007@mail.goo.ne.jp ※上記に電話でご確認ください。

料金 ¥6000(飲み放題+食べ放題+ライブチャージ込み)

出演 
演奏    シャルキィロマ
ダンサー チエ・ZUMY・落合ユミ

コダワリと立ち位置(長文乱文)

カテゴリー : ダイアリー
今日の日記はふと思ったことなどを長文書き殴り。

友人の日記を読んでいて、少し考えさせられたので書いてみよう。
その友人は作曲をする人で、いろいろとお世話になっている人でもある。

さて、その日記の内容は・・・、
プロの作曲家のコダワリについて、それを人がどう思っているか、
について書かれていました。

「プロの作曲家の音作りは凄いかもしれないが・・・細かい音質や、
アレンジよりもセンスと魂のこもった曲を書いた方がいいのではないか、
また、消費者が求めてない限りは、変なコダワリは無駄な
必要とされていない工程となってしまうのかもしれない」と。

・・・ちょっと考えてしまいます。

でも・・・、自分の名をつけて世に出すのに
自分のコダワリを追及しない人はアーティストとは呼べないような気がする。
職業作曲家かもしれないけど、音楽家ではないんじゃないか、と。
それで生活してるならプロかもしれないけど、あくまで仕事なのであって、
アーティストという立ち位置とは思えない。
売るために意味なく音圧を上げてある作品、実際多いと思います。

でもその一方で、コダワリ過ぎて、作品がなかなか出せないなら、
やっぱり経験を積むためにも、数をたくさん作曲してこそ、
いいものも出来るのかもしれない、とも思う。
だって、最初からいいものが出来るとは限らないワケだし。
でも、毎回コダワリもなく作ってたらいいものも生まれないとも思う。

ある人から聞いた言葉で、
初心者が小説を書きたい場合、なかなか書けないそうだが、
それを書けるようにさせるには、こうアドバイスするそうだ。
「自分の書きたいことの2割だけを書け」と。
渾身の作品を書こうとすると、筆が止まる。

自分の中の集大成を作り上げようとするのにも、経験・スキルが
必要なのだ、という事なんだと思う。

そのためにはたくさん作品を書くべきだろうけど、
その一つ一つに自分なりのコダワリや追求すべき部分があると、
より伸びていくのかな、などと思う。

その一方で、以前に武術の先生が言っていたけど、
「いつでも集中していられるわけじゃない。
ダラダラやる日があってもいいから毎日練習する習慣こそが大切」
という話もありました。

ヴァイオリンの先生にも昔、教わりました。
「犀の角のようにただ独り歩め」と。
仏教の言葉だったかな?

結局、何より続けることが一番大切なのかな、と独り言つ。


さて、今日はハディアのワークショップで演奏してきたが、
その終了後の食事の時に、ベリーダンサーの方々の話に参加した。

ベリーダンスを始めてわずか2~3年で生徒を教え始める人がいて、
それはどうなのか、という話題。
「先生の資格」という議題。

結局、それも最終的には本人にコダワリがあるかどうかのような気もする。
単に流行だとか、お金儲けとか、ビジネスと割り切っている人もいるかもしれないし、
それを好きでたまらなくて割り切れないコダワリを持っている人もいるだろうと思う。

音楽業界にもそういう人はいる。
僕の全く親しくない知人(ただ知ってるだけの人)で、
たいして楽器を弾けないのに初心者に教えてお金を取っている人もいる。

音楽業界のガンじゃなかろうか、と思っていた時もある。
普通に考えても良いとは思えない。
でも、需要と供給が成り立っていて、受講者が満足し、その対価を
納得しているなら、それは簡単に言い切れなくなる。

ちゃんとした先生に習うよりも、気楽にやりたいから、
本格的な先生ではちょっと・・・という人が実際いるのだ。
上手くなくてもいいから、話しやすい気の合う先生がいい、と。

多様なニーズがあるから、供給を満たす側はどの位置からでも
相手(顧客=生徒)に接触することが出来るかもしれない。
たとえ自分が初心者であったとしても・・・。
それを止めることが出来る人はいない。
それを決めるのは最終的には本人のコダワリだろう。
そのコダワリがその人を立ち位置を決めるのだと思う。

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