◇閔 賢基の音楽的考察◇

ライブ情報と日々の徒然なる記録

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エイジアン・ジプシー

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ジプシー(ロマ)音楽って、悲哀を湛えたものもあるし、底抜けに明るいものもある。
でも明るいものも穏やかな音楽じゃない気がする。

ジプシー達が大道芸で面白おかしく旅を続けた旅の一座なら幸せだったろうし、
そして幸せなら穏やかな曲が生まれたハズ・・・と思う。

迫害され、定住出来ず、逃亡を余儀なくされた生活スタイルが生んだ音楽で、
悲哀であり、明るい曲があってもそれはきっと
辛い生活があってもそれを吹き飛ばすような
精神を高揚させてくれるような明るさじゃないか、と考えてしまう。

ジプシーの起源はインドのラジャスタン地方と言われていて
西暦1000年頃から数百年かけてヨーロッパへ辿り着いたという。

クラシックは「古典」というような意味だが、
バロック音楽の始まりもせいぜい、バッハの生きた18世紀からだから
ジプシー達の音楽はそれよりも遥かに古い。

ジプシー、という呼び名は「エジプトから来た人」が語源で、
エジプシャン→ジプシャン→ジプシー、となったようだ。

フランス語やスペイン語では他にもジタン、ヒターノ、などとも呼ばれる。
フランス語にはボヘミアン、という言葉もある。
こちらはチェコのボヘミア地方から来た、という語源らしく、「放浪者」の意味で使われる。

他にもツィガーヌ、という呼び方もする。
クラシックで、ラヴェルという作曲家が「ツィガーヌ」という曲を書いている。
サラサーテ作曲で「ツィゴイネルワイゼン」という有名な曲もある。
これらの語源も元はギリシャ語の「異教徒」という意味らしい。

第二次世界大戦時、ナチスドイツによって大量虐殺されたのは
ユダヤ人だけではない。ジプシーも戦時中に、約50万人も殺害されたそうだ。
強制的に断種手術も行われ、選挙権、ジプシー以外との結婚、商売、学校入学に
国内の移動までも禁止されたという。

ちなみに在日韓国人は・・・、在日外国人は皆、日本にいても選挙権がない。
僕は3世だが、昔の1世、2世の世代では職業も制限され、差別も多かったという。
僕の父も好きあっていた日本人女性と結婚しようとしたら
相手の家族に拒否され、別れた過去がある。
平成12年までは、署名捺印をした外国人登録済証明書を携帯していないと
逮捕されて前科になったし、(今でも 「10万円以下の過料」という行政罰)
今でも海外でパスポートを無くしたら日本に戻って来れない。

海外でパスポートを強盗にあって取られた場合、日本大使館に行っても何もしてくれない。
韓国人なんだから韓国大使館に行きなさい、と言われる。
韓国語が話せないのに再発行してもらったとして、日本には入れない。
そこで韓国に行けば、そのまま兵役にとられる。(20代の場合)
身内が日本にいたら、入国管理局で「再入国許可証」を申請し、それを
海外にファックスしてもらうと、ようやく日本に帰ってこられる。
地方に家族が住んでいたら、わざわざ東京に出てきて入国管理局へ行かなければならない。
では天涯孤独になった在日が海外でパスポートを紛失したら?
多分帰ってくるのは大変だろう。帰ってこれるとしても手続きに時間を取られる。
これらも実際に体験したから、その煩雑さがわかる。

日本に生まれ育ったのに母国だと思えない。
でも在日朝鮮人が、北朝鮮に帰っても差別があるという。
在日韓国人が韓国に帰っても差別はあるようだ。
30代を過ぎると兵役を務めなくてもいいようだが、
兵役を務めていないとやはり差別の対象になる、と聞いた。
では母国は何処にあるんだろうか?

故郷とか、土地に愛着を持つという感情を感じた事は一度もない。
ましてや、愛国心などという考えなどあるわけもない。
オリンピックでどの国が勝っても、選手が知り合いで無い限りは
どちらも応援するし、どちらも応援しない。
サッカーでも野球でも同じ。
いいプレー、いい内容だったらいいだけで、愛着、贔屓が全くない。
何処の国の人は良くて、何処の国の人は悪いとも思わない。
どの国にだっていい人もいれば悪い人もいる。

自分のルーツは知っている。
中国から数えて第32代目、日本に渡って3代目。
古くは中国の春秋時代の孔子の弟子に閔一族がいたし、
朝鮮の歴史に出てくる閔姫と同じ一族だ。

でも、この「ルーツはあっても、母国を持たない感覚」は
きっとジプシーにもあったに違いない、と想像する。

インターナショナルな現代、「地球人」でいいと思うが、
もっと細分化しても「アジア人」だと思いたい。

帰化すればいい、という考え方もある。
でもそれは本当の解決じゃない。
臭いものに蓋をするのと同じ。見たくないものを見ないで済ますだけで、
その原因は無くならない。
その原因を無くすにはそれを訴える人、良くしていこうとする人々が必要だ。

中国や韓国、日本にタイにフィリピンに・・・
それぞれの国が自分の国だけを考えると差別はなくならず
どちらにも属せない宙ぶらりんのアジアのジプシー達が生まれる。

せめてまずはヨーロッパのEUくらい、アジアもまとまればいいと思う。
メリットがない、とか現実的じゃないとか、中国が・・・とかじゃなくて。
世界に「~連合」が地域ごとに出来て、
それをまたまとめて地球規模の事を考えられるようになったら・・・

・・・人がそれを実現できるようになるなら、
きっと現代に生きる様々なジプシー達の心に、穏やかな音楽が鳴るかもしれない。
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アーティストを斬る

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職業欄に「アーティスト」と書いてる人がいる。
よく見渡してみると、自称アーティストって人は多い。
アートとかアーティストの定義って、人それぞれだと思う。
だからアートがそこら辺に転がってる石と同じくらいの意味だと思う人がいてもいいと思う。

・・・でも。
僕の中のアートはとても価値が高くて崇高だ。
安っぽくはないし、滅多に出会えない。
僕の中のアートの一番大切な必要条件はこれだ。

「心を揺さぶる、または感動を伴う創作作品」

加えて言うなら独創的でなければ。
そして創造者の信念や主張が込められてなければ。
他にもいろいろ条件はあるけれど、
人が感情で生きている以上、一番の条件はやっぱり心が反応しなきゃ、
アートとは認められない。

演奏家はアーティスト?
僕の考えでは演奏家は演奏家だ。
昔から優れた演奏家はいただろうけど、芸術家として名前を残している人は少ない。
後世に名が残った演奏家は、「優れた演奏家」であって、アーティストとは呼ばれない。
演奏家は作曲者が作った曲を弾く、手先の器用な肉体労働者みたいなものだ。

じゃあ作曲家はアーティストか。
作曲家、と一言に言ってもいろいろいる。
パズルの組み合わせみたいなものでも曲は書ける。
今時、コンピュータで作れば誰だって作れる。
音楽理論は必要無いし、必要なのはソフトウェアを使いこなす事だけで、
それは経験があれば誰でも出来る。
極端な話、切り貼りすれば誰でも作れるのだから。
作曲家も一部を除いて、アーティストなんかじゃない。

じゃ、ダンサーは?
ダンサーはダンサーでしかない。
歴史に名を残すような優れたダンサーもそのほとんどはアーティストとは呼ばれない。
歴史に残る名称は「素晴らしき踊り手/ダンサー」だ。
第一、生涯踊り続けて暮らすのは並大抵の事じゃない。
ほとんどはレッスンプロになる。これは肉体労働者でしょ。

画家は?
絵なんて誰でも描ける。
今時、コンピュータでも描ける。
絵を描くことがアートなら、漫画家もアシスタントもひっくるめてアーティストだろうし、
建売住宅の見取り図を描いたってアーティストになってしまう。
下手なのに味がある絵がアートなら、総人口アーティストだ。

小説は?映画は?オペラは?詩は?
駄作なんて誰でも書ける。一体どれだけ感動できる作品がある?
昼のドラマで泣く人だっている。
安っぽい感傷がその作品の価値を高めてくれるとは思わない。

アクセサリーは?家の設計は?陶芸は?
それもすべてアートなんかじゃない。
第一、本当に「作品」と呼べるレベルのものか、って思う。
そのほとんどは商品であって、洗練されてはいるかもしれないけどアートじゃない。

ただ・・・
どの職業も、どの作品もすべて違う、と言いたいわけじゃない。
その職業の中にも斬新な作品、または革新的とも言える人物がアートを創り出し
後にアーティストと呼ばれる存在になっている事を否定するつもりはない。

昔、「スポーツ冒険家」と名乗る人がいた。
冒険家、って名乗るものなんだろうか?
結局、冒険らしい冒険の一つもしないまま、名乗らなくなった。
冒険家ってのはきっと、人がやらないようなものを追っかけていて
夢と情熱のためなら危険があっても、チャレンジ精神の元に
数々のエピソードを乗り越えていって。
そうこうしているうちに他人がその人をまたはその本人の生き方そのものを見て、
「冒険家」って呼ぶようになるんだと思う。
「アーティスト」も同じだと思う。

今はアートとアーティストに理解のある時代だと思う。
昔のアーティストは生前、認められなくて苦労した人も多い。
不遇のまま世を去った人もいる。
ちょっと名前が売れて、いい仕事が来て、周りとうまくやって。
周りとうまくやるのは大事だよね。
協調性とか人間性が良ければ仕事はまた来るだろうし。
依頼する方だってそっちのが仕事を頼みやすいからね。
でもアートなら自分の信念・主張のが大事でしょ。
表現に対して信念が無いならアートじゃない。
信念を曲げて売れる事を一番にしたらそれはアートって呼べる?
作品によくわからない説明を加えて、意味があるように見せても
偽者は偽者。
本物はきっと説明なんかいらない。
そして表現者は言い訳をするべきじゃない。
その作品一つで、人間性から人生そのものを評価されたって文句は言えないんだから。
むしろそれくらい思い入れがなくちゃ。
そんなものがアートかどうかは、きっと100年も経てば分かる。
多分、職業作曲家なり、職業演奏家なり、職業画家がほとんどで
作品じゃなくて消耗商品に過ぎない。

アートを創り出したい、アーティストを目指す人が多いのは素晴らしいと思う。
でも世の中には自称アートと自称アーティストが多すぎる。
物が溢れ、過剰な広告が溢れていて、陳腐なアートが溢れている。

イフティファール終了

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イフティファールの二日間の連続公演、無事終了しました。
アラビア音楽の世界に足を踏み入れる事になった
このイベントもこれで3回目。
思えば最初にこのイベントに参加したことで
多くの人々にめぐり合う事が出来、
僕自身の音楽ライフそのものも変わりました。

会場が一体になる楽しさ、って言うんでしょうか?
ショーの創り手側も、観・聴き手側も、
どちらも楽しめるイベント、ってなかなか無かったりします。
反省点は多いものの、本当に楽しいショーでした。
演奏者冥利に尽きますね。

共演させていただいた演奏者並びダンサーの
皆様、お疲れ様でした!
そして、このイベントを主催してくれた
(有)クワイエス に感謝!
なにより、来ていただいたお客様へ感謝感謝!!
皆様、ありがとうございました!!
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